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究極の節約とは?

節約。無駄を省いて切り詰めること。

生活のために仕方なくしている方・趣味的な感覚でしている方・エコロジーの思想からしている方等、様々な理由がありますが、誰でも必ず何かしらの節約をしているはずです。

私が考える節約とは、ストイックでシンプルに洗練された生活そのものです。究極の節約とは、日常生活すべてにおいて効率を優先し一切の無駄となる要素(お金は勿論、時間も含む)をなくすことですが、そのような生活はロボットでもない限り不可能なことですよね。

私達、人間には笑う・楽しむ・怒る・泣く・悲しむなど、たくさんの感情があります。感情を押し殺してまで行う節約は、苦痛となりやる気を失い、やがては節約に対して負の感情まで発展します。負の感情を抱くと節約をしないばかりか、逆に無駄使いに走りだす傾向が強くなります。これはダイエットのリバウンドと同じイメージですね。

感情を押し殺してまで行う節約では長続きしないので、もう少しストイックさを和らげて、楽しく節約生活を送れればいいなと思います。

私が、楽しい節約生活に拘る理由は過去の家族との思い出があるからかもしれません。ここで、少しだけ私事の節約の歴史を紹介したいと思います。

毎日喧嘩ばかりしていた両親が私が幼い頃に離婚をしました。離婚の原因は父親の暴力だったので、私は当然母親に付いて行くことにしました。父親の暴力はひどいもので、毎晩ビール瓶で母を殴りつけたり、カッターナイフで切ったりと悲惨なものでした。ほとんど夜逃げ同然で母と姉、私の3人は電車で母方の実家に向かいました。今、思えばこの時から節約の人生がスタートしたのかも知れません。

母方の実家での暮らしは1ヵ月程で終わり、母が探してきた2Kのアパート暮らしが始まりました。このアパートは4.5畳と6畳、それに1畳ほどのキッチンと半畳ほどのお風呂があるだけの狭いアパートで洗面所がありませんでしたので、ずっと永い間、洗面所に憧れていた記憶が懐かしいですね。

当時、母親のお給料は8万円くらいだったと記憶しています。そこから2万円ほど家賃を引いた残り金額でやりくりしていたので、その節約ぶり(貧乏ぶり)が想像できると思います。勿論、母子家庭手当などはもらっていたとは思いますが。

母親は朝から晩まで食堂勤めをしていたので、洗濯ものを取り入れるのは私の仕事になっていました。いつも母親が食堂の残りを持って帰ってきて、食卓を賑わしていました。これはかなりの食費の節約になっていたのだろうと思います。ただ、母親はケチではなかったので、よくタイ焼きや大判焼き、ハンバーガーなどを買って帰ってきてくれて、とてもおいしかった記憶がありますね。

当時流行っていたファミコンなんかも買ってくれたので、この頃は自分の家が裕福とは思いませんでしたが、貧しいとも思いませんでした。きっと母親は金銭的にかなり苦しい思いをしていたことでしょう。

自動車もない、欲しい服も買わない等、当時の母親の生活はもしかしたら究極の節約に近かったのかも知れません。それでも、当時は家族で楽しく節約生活を送っていました。これは、後の話になるのですが大きくなってから母親が私や姉のために結構な額を貯金していたのを知って尚更、究極の節約だったのだなと感じました。


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